尼崎競艇場(兵庫県)
1952(昭27)年〜

当時、尼崎市の人家の密集しているど真ん中、阪神電車の線路に沿って十万坪の大湿地帯があった
そこは丈余の葦が密生し不潔な汚水がどんよりたまり蚊の温床となってきた
ここに発生する何億の蚊群が風に吹かれて全市にちらばり、おかげで年久しく「尼蚊崎」の名をとどろかせてきたのである


歴代の市町村長はこれを如何ともできなかった
なぜなら尼崎という平原にもっとも不足しているものは実に「土」そのものであって昔から埋立事業は至難のことに属していた

隣の西宮や芦屋の山から土を運搬して来ては経費の面からとうてい算盤にあわない
といって市内の工場から出る廃物を当てにしていてはその量極めて少なく、とても大規模な埋立はできない
かような事情で何とかしなければならぬと知りながら永年放置されてきたのである


そのころ国会では議員提案のモーターボート競走法が審議せられ通過は必至とみられていた

そして沼か池こそ理想的であって波浪のある海や潮の干満や流れのある川尻は駄目だという見当がついてきた

あの大湿地帯を掘って大池を造りその土砂で十万坪を埋め立てて
競艇場にしたらどうだろう
この構想が実現に向けて走り出した

1951(昭26)年10月1日:社団法人兵庫県モーターボート競走会設立認可

県内では認可申請は
西宮より出遅れたが人口密度が高く大都市大阪に隣接し
しかも阪神電車の駅のすぐ近くに
競艇場が設置できるという
地の利、池であるので波浪がなく天候に左右されないという有利な条件があったので専門家筋は尼崎を希望したようである

1952(昭27)4月30日:競艇場の誘致に成功した
尼崎市はすぐさま大庄地区湿地帯開発委員会を設置し
大庄地区7万坪に
モーターボート競走場の建設を承認した

同年、5月14日:起工式
途中、市は
競艇場建設に必要な民有地6万坪を地主11名から
坪550円と耕作補償費10円の計560円で買収
その土地を借り水田を経営していた約20人の小作人にはそれぞれ150円の離作補償費を支払うことで解決した

突貫工事の末
1952(昭27)年8月30日に
競走場は完成し
翌、8月31日午前11時から朝田神戸海運局長(現:神戸海運)ほか来賓500余名を招き盛大に竣工式を催した

競艇場のすぐ前を阪神電車が走っているが出屋敷、武庫川間の中間となるので観客の足の便を考え
阪神電車に競艇場前に駅を設けるよう折衝
難航したが結局競艇場前に尼崎センタープール前駅を特設することに決まった

しかし停車についてはまだ人家も少ないので競艇開催日の前日から最終日まで臨時停車することになった
(注:昭和36年1月18日より尼崎センタープール前駅は常設するに至った)


同年9月14日:
尼崎競走場初開催(施行者:尼崎市)
14,15,16,21,22,23日の6日間の日程で実施
6日間 28,867,900円の売上
レース運営もスムーズに運び事故もなく終了した


松戸競輪事件(昭和34)に端を発した公営競技廃止論の余波は全国に拡がり
競艇廃止論”も論ぜられたが
「財源をもって教育施設、社会福祉事業に貢献してほしい」との陳情要望が数多く
市議会においても多数をもって競艇事業の存続が議決され引き続き競艇事業を実施することとなった



<昭和34年・尼崎市主催・連勝式勝舟投票券>


1967(昭42)年4月10日:第10レース発走時において発走信号用時計が故障
10レース以降の競走を中止したことから一部ファンが騒ぎ競艇場内の施設が破壊されるという事件が発生した

中止の決定のアナウンス、舟券の払戻
おわびの放送を繰り返して行ったが
約12,000名のファンからは「やれやれ」「何をしているんだ」等の野次も飛ぶ
その大半は払戻所に行き換金していたが数十名は管理事務所に押しかけ喚声をあげ
「入場料を返せ」等など口々にののしり
不穏な空気となり
また別グループ数十名は新刊1階1,000円券窓口付近に集まり数枚の窓ガラスを叩き割った
執行本部は警察へ機動隊の派遣を依頼し派遣警察隊5名、ガードマン15名、自衛警備員28名で
ファンの説得鎮圧に努め場内予想屋30数名もファンに対して個々に説得に当たったが
残った約500名のファンは一部ファンの扇動もあり騒ぎは容易に収まらず執行本部へ
乱入した
執行本部はファン代表5名と話し合うことを決定し委員長席で話し合いに入り
結果、残ったファンに入場券を渡すことを約束しファン代表はこの結果を残ったファンに説明するが
狂ったファンは特別席の机、椅子を壊し、特別席投票所、番組編成室、記者室のガラスを滅茶苦茶に破った
この状況をみて警察は器物損壊現行犯で7名、
公務執行妨害で2名を逮捕
未だ不穏な空気が消えないので18時30分執行本部と協議の上退去命令を出すことを決定し
「5分以内に競艇場より退去して下さい」と放送
まもなくファンは全員
競艇場より退去した


1968(昭43)年5月19日:43年度尼崎市営第2回第2節第4日最終日
尼崎競艇にて全国初の3億円を越す売上げ新記録が出た
売上額:310,554,600円、入場人員:30,860人



兵庫県尼崎市水明町199−1